今回は前回のハワイアン・ミュージックの流れでウクレレについて書いていきます。
前回書いたように理由は不明ですがウクレレを習おうという生徒さんがここ数年でとても増えています。
体感的には5年前と去年とを比べるとおよそ2~3倍問い合わせが増えているように感じます。
ウクレレは楽器の伴奏楽器の中では比較的はじめやすい楽器です。よくギターと比べることが多いですが、ウクレレはギターが弦が6本に対し、弦が4本ですしナイロン弦という柔らかな弦でしかもテンションも弱めなので子供でも押さえられます。
また手が小さい方でも問題なく扱えるので手の大きさでギターを諦めた女性の方が始めることもよくあります。(ギターも手が小さくても出来るので本当はそれほど関係はないのですが・・・・
ウクレレの祖先が(諸説ありますが・・・)ブラギーニャというポルトガルの楽器を原住民が改良したものという話は前回しましたが19世紀ごろハワイではサトウキビを使った製糖業が有名で、人手不足から外国から移民を募集していたそうです。
そのためポルトガルから400名ほどの移民がハワイに来たそうです。なおポルトガルの移民が到着した8月23日をハワイでは「ウクレレ記念日」にしているそうです。
ウクレレがハワイで流行った理由としてはその携帯性にあると言えます。19世紀のハワイはもともとのハワイの歌や踊りが西洋から来た文化に飲み込まれ形をかえている最中、キリスト教の影響で当然ピアノやオルガンの伴奏が主になっていました。
しかもハワイという海に囲まれた状況から察するに西洋音楽の教育もそれほどされたとも思えず、ピアノやオルガンもごく一部の人しかできなかったと思われます。
ピアノやオルガンは当然ですが外には持ち出せません。そのため携帯性の優れているウクレレのニーズが高まったのだと思われます。確かにあんまりハワイで家の中で音楽を楽しむってイメージはなく、屋外でみんなで楽しむというイメージの方が強いです。
ウクレレの語源はウク(蚤)、とレレ(飛び跳ねる)が合わさったものです。なぜそのように呼ばれるようになったのかは諸説ありますが、たしかに蚤が飛び跳ねている様子を思い浮かべるとなるほどという感じですね。
ハワイの音楽が日本に来たのは昭和のはじめごろ、ホノルル生まれの日系2世のバッキー白片が来日し、日本の女性と結婚、帰化しハワイアンの普及をはじめました。戦時中は敵性語になり、敵国の音楽ということで肩身の狭い思いをしたようですが、戦後は石原裕次郎など様々な著名なミュージシャンに曲を提供ていました。
1910年ごろに日本で最初のハワイアンブームが来ています。ウクレレもこの時も活躍したようですが本格的に有名になったのはその50年後、戦後ハワイアンブームが再度やってきます。戦後3年ほどたった1948年、「憧れのハワイ航路」という映画が発表され、1950年に上映されます。実はそのころはハワイに憧れてたというよりも世界情勢的にハワイが一番選択しやすかったからと言えます。中国は内戦中でしたし、朝鮮半島も領土問題、グアムやサイパンなどは米軍基地の建設で結局ハワイが一番行きやすかったみたいです。
1960年代にはハーブオオタが米軍兵士として米軍基地に赴任した際にウクレレソロの演奏会が行われたり、加山雄三や牧伸二などがウクレレなどを映画やステージで取り入れたことでウクレレの知名度は飛躍的に向上し、日本でも知らない人はいないと言っていいほどの楽器になりました。
ここ最近はウクレレソロが脚光を浴びるようになって生徒さんも弾き語りが一段落すると、ウクレレソロを弾くようになります。ウクレレソロの曲集も最近は充実していて、2人で弾く曲集やジブリの曲集、映画音楽などさまざまな曲がウクレレで弾けるようになっています。是非これをみてウクレレに興味を持たれた方、比較的手に入れやすい楽器です。
一番スタンダードなフェイマスというメーカーのウクレレでも1万円台ですし、安いのですと5千円前後で手に入ります。日本の個人制作家が作ったウクレレもギターは30万円くらい出さないと買えませんが、ウクレレは4万円前後で作っている方もいるそうです。一度楽器屋に行った際には見てみると良いと思います。
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